2008年3月15日土曜日

小浜逸郎「現代思想の困った人たち」

現代思想の困った人たち
小浜 逸郎
王国社
売り上げランキング: 780514
おすすめ度の平均: 4.5
5 小浜のエッセンスが凝縮した「批評芸」
4 愉快な本



読んだ本 「オウムと全共闘」以降 吉本隆明論の前哨戦
内容は産経抄教育論の芹沢俊介と「思想なんかいらない」の勢古浩爾批判 
オウムでけちがついた吉本隆明を跡目弟子筋がかばおうとしてかばえない、という話 

しかし吉本隆明ってどこらへんが凄いのかわからない 読者の世代が限られるのか
不必要に難解な文か、単に陳腐な物言いか そのどちらかしか印象にない
入門ガイドみたいなのあったら知りたい

小浜のおすすめは「オウムと全共闘」 


以下抜書き

「たとえば「子供は根源的にイノセンスだ」というア・プリオリな断定や、「子供を生んだことそのものが子供に対する親の暴力だ」という脅迫や、「一切を肯定してやれ」といった至上命法は、人々が歩んでいる迷いや焦燥そのものに寄り添っているのではなく、現実の諸条件への配慮のために要するエネルギーを費やすことを億劫がって、ただ安直な岸辺に停泊してしまったことを証し立てている。
(略)
一見、多様な「現象」や「現在」にどこまでも誠実につき合うふりをしているが、それらの「現象」や「現在」へのつき合いは自力で思想的統覚を維持することを放棄した「億劫さ」を自らカムフラージュするための手段として利用されているにすぎない。
思想的統覚は現象に振り回されて散乱し、そして客観的には、陳腐なイデオロギー中毒、倫理中毒の症状となって現れているだけだ。

ちなみに、芹沢俊介は、最近「日本一醜い親への手紙」という本の書評で、性懲りもなく
「親が子供に最初に下した暴力、子供を生んだという暴力に気づこうとしないとき、その時が最も醜い顔をしている」などという宗教的原罪主義を撒き散らしている(「論座」98年1月号)
これこそはカビのはえた「倫理」以外のなにものでもなく、思想でも批評でもない。」
現代思想の困った人たちより

こういう阿呆な物言いをマに受けちゃうとどうなるか、というと

「96年、左翼系出版社に長年勤めてきた東大出の父親が、中学生の息子の家庭内暴力に耐えかねて息子を金属バットで殴殺した。この父親は自身、セラピストでもあったが、自分の足元に火がついたときには、他のカウンセラーに頼らざるをえなかった。

問題を抱えて衰弱しきってしまった親が、わらをもつかむ思いで相談機関にすがる気持ちは、それ自体としてはよく理解できるし、同情に値する。私が疑問に思うのはそのことではなく、親の求めに応じたカウンセラーの側の処方箋である。「暴力に対してやり返してはいけない」という指導の下に、徹底的な無抵抗主義を勧めたのだそうである。父親はそれに従って、母親と姉を別居させ、自分ひとりで息子の行動に対処することにした。結果はどうであったか。

息子の暴力はますますエスカレートするばかり。奴隷のように父親をこき使った。父親は、ドラムやギターを要求されれば言いなりになって買いあたえ、音楽教室には一緒に通い(息子は登校拒否を続けていた)、Tシャツを買ってくるように命じられて、言われたとおり買ってくると、俺がほしいのはこんなTシャツじゃねえと罵倒され、掃除機の柄で殴り倒された。」
現代思想の困った人たちより

昔なつかし「積み木くずし」でもあった無抵抗主義 
あそこもドラマでブレイクのち、スキャンダルぼろぼろ出てきて大変だった
殺すより殴り返したほうがマシ 殴られて黙ってれば事態は悪化する 
フツーの人付き合いにおきかえて考えりゃわかると思うんだけどな