2009年11月2日月曜日

City Boy 「Book Early」

City Boy、1978年の4枚目「Book Early」 これよろしいアルバムでした
ビートルズで言えばポール・マッカートニー、10ccバッドフィンガーを思わせるブリティッシュ・パワー・ポップの正統派 出身はELOと同じバーミンガム 



シティ・ボーイ「What A Night」 「City Boy」 You Tube検索



5.7.0.5(君のナンバー5705)」が日本でもヒットしたそうな 


このシティ・ボーイ ダサい名前でメロいいバンド、っていえばミスター・チルドレンとか好きな子も気にいるんじゃないかな- 

2008年9月17日水曜日

ソフト・ロックとアシッド・フォークの橋渡し Ruthann Friedman 「Constant Companion」




 Ruthann Friedmanはソフト・ロック・ファンならご存知、アソシエイションのヒット曲「Windy」作者の女性フォーク・シンガー


the Association - Windy






 このひとミレニアムの前身バンド、Ball roomの曲も書いてるのね 
You Tube→The Ballroom - Spinning,Spinning,Spinning





 アカペラで幕を開けるConstant Companionは弾き語り中心のナイス西海岸SSWアルバム 
詳しくはとばすぜ ハイウェイの紹介記事へ  

 クスリをキメたフィル・スペクターばりの異様なボーナス曲「Carry On (Glittering Dancer)」は、案の定ヴァン・ダイク・パークスのプロデュース



 Ruthann Friedmanは40年後の今日も現役のアシッド・フォーク・シンガーであります 
検索してたらこのアルバムに入っていない新曲がみつかった こいつがすばらしい「Our Time」 ジャズ・ワルツにアレンジできるようなタイム感は、デヴィッド・クロスビーを思わせる ぜひご一聴を

Our Time - Ruthann Friedman

 彼女のMyspaceでは作者版の「ウィンディ」も聴けます




こちらはベスト盤

田中美知太郎 「時代と私」 

「現実の中から思想が生れて来る?否、現実との距離に於いてのみ思想は生れて来る。過酷な現実にもかかはらず奴隷は思想をもたない。この現実の中から何か思想が生れて来るだらうなどと待つことの愚かしさ」
 1939年10月11日
 
 田中美知太郎 「時代と私」より 

 田中美知太郎は戦後日本を代表する哲学者 山本夏彦福田恆存の名著において、何かにつけてみかける名前 
しかし哲学書の例に漏れず、このひとの本は自分にはどうも難解で、読み通したのはこの自叙伝「時代と私」がはじめてでした 





 戦前とは、日本のインテリゲンチャにとってどういう時代だったのか 
たとえば山田風太郎や永井荷風、高見順や徳川夢声が残した膨大な昭和日記への、ドキュメントとしての興味とは少し違う 

 今日のわれわれは、いつも時代とか社会とかいふ容器のなかに自分をおいて考へるくせがついてしまつてゐる。これはをかしな傾向だとも言へる。むかしのひとなら天地万物の間にわれをおいて見たのではないだらうか。自然のふところにいだかれた自分といふものを、何か自分の一番安らかな姿のやうに思つたのではないだらうか。

 輸入されて間もない西洋哲学の原著翻訳作業と、慌ただしく大戦へとむかう我が国の世相が同時に語られ、さらに昭和59年の執筆時から検証される、立体的なその視点がいちいち面白い 



 田中は保守派で有名な論客でありますが、左翼リベラルのかたにも読んでほしいのはこんな文 
日本独特の「ニセ天皇」を憂いて曰く 

二二六事件声明文
「内外危急ノ際、国体破壊ノ元兇ヲキン除シ、以テ大義ヲ正シ、国体ヲ擁護開顕セントス」について)

 かれらの言ふ「国体」とは、実は彼ら自身のことにほかならないのである。わたしたちが簡閲点呼などに招集されて行くと、簡閲官たる大尉くらゐの者が、まづ最初に言ふことは「天皇陛下の命により何某大尉これより何々を行ふ」といふやうな言葉である。そして彼自身があたかも天皇陛下であるかのやうな、絶対的な言動をするのである。だから、彼らの心理からすると、いやしくも彼らに対して批判的な言動があれば、それがつまり天皇の神聖を犯し、国体を破壊したと言ふことになるわけだ。

 満州事変以後の軍閥の独裁政治といふものは、このいつはりの神聖観念の上に強行されたのであって、言つてみれば、それは「にせ天皇」の氾濫時代といふことになるだらう。だから、本物の天皇がかれらにせものの天皇たちを嫌悪されたのは当然のことであつて、「此ノ如キ兇暴ノ将校等、其精神ニ於イテモ何ノ恕スベキモノアリヤ」とか、「朕自ラ近衛師団ヲ率ヰ、コレガ鎮定ニ当タラン」とか言はれたとしても、別に不思議はないわけである。今日でも反戦とか平和とかを一つの神聖観念にして、これと自己を同一化し、何か絶対性を主張しようとする言動が見られるが、その粗雑な心理は何に由来するのか、どうも情けない気持ちがする。

 戦後は左翼がいまネット右翼がさかんにやってるやつだ 「子供たちのために」「日本人なら」と言うたぐい 虎の威を借る一点で、両者は実に似たもの同士

 こういう聖化→自己同一化→責任放棄の心理構造については大西巨人「神聖喜劇」や山本七平「空気の研究」に詳しいです 








 おまけにゴシップ みなさんお好きな百鬼園先生登場
 (1933年の法政騒動で、同僚関口存男たちに罷免を要求された、田中にとっての先輩講師、内田百閒の描写)

 わたしはそれまで百閒さんと、さう親しい口をきいたことはなかつた。しかしいつも一種の親しみを感じてゐた。たいていは黒い洋服に白い手袋、そして細身の白いステッキを携へてゐた。昼食の時間に、わたしたちはライスカレーやうどんを食べてゐても、百閒さんはお吸い物つきの料理をよそから取つて、ひとり特別の食事をしてゐた。ドイツ語の授業につかふ教科書は、いつもきまつてゐて、何も下調べはして来ないやうだつた。その教科書の中にはわからない単語がいくつかあるのだが、これも毎年の決まりで、いつも忘れたままで思ひ出せず、その箇所が近づくと胸さわぎがしてくるのだと言つて、わたしたちを笑わせてゐた。わたしのやうなあまり自信のない新米のドイツ語教師にとつては、百閒さんのこのやうな話は一種の気やすめになるものだつた。かれはまた毎年の外国語夏期講習会の勧進元となつて、わたしにギリシア語やラテン語を速成十日間で講義するといふ軽業をやらせたりした。

 わたしの受けもつ古典語部門は、受講者が割に多いので、講習会の財政にいくらか役に立つらしく、それらしいお世辞を言はれたりした。そして講習会興行が千秋楽になると、百閒先生はわたしたちと銀座あたりで食事をし、バー廻りなどをして、大へん御機嫌だつた。しかしこのやうな遊びの態度に対しては、勉強家の真面目な人たちが反撥し、敵対することになるわけで、内田の不真面目な授業をやめにして、もつと真面目な若手の失業教師たちを採用せよといふ主張もあつたわけなのだらう。

 昔も今も「真面目な人たち」はおっかねえなぁ、という話でした



「好きになった」メモ 「土下座」か「出ていけ」ニッポン代表 

2008年5月24日土曜日

ナンシー関 「何をかいわんや」

 お中元を無意味な悪習とし、廃止すべきだとの声も聞く。確かにそうであるともいえる。しかし、善し悪しは別として、儀礼や形式に敢えて従ってみた時のおかしさやおもしろさというものもある。たとえば全く不適切な例なのだが、酔っ払った時にワザとネクタイをはち巻きのように頭に巻いてみる。「オヤジ」のコスチューム・プレイ(形を真似ることでその人格になる)である。それがコスプレであるという自覚があるうちは、自分とオヤジを差別化できているわけで、プレイ(遊び)である。しかし、続けるうちにその自覚は薄れ、するとそれはプレイではなく単なる日常になってしまい、コスプレオヤジのつもりが本物のオヤジになるのである。もしかしたら、成長するというのは、これの積み重ねかとも思う。コスチューム・プレイと、あとシチュエーション・プレイを、どんどん日常に落とし込んでいくのではないだろうか。何かお中元の話を離れてしまった感じもするが、でも、きっと最初は「お中元を贈るような人間」をやっている自分というような妙な自意識があるのではないかと思うのだ。回を重ねるごとにその「妙」は薄れていき、堂々とした特設お中元売り場の人になるのだ。

ナンシー関 「人はいつからお中元を贈るようになるのか」より 1994年




 どっから見ても80年代の視点 アイディアは宮沢章夫でも不自然じゃないと思う 宮沢章夫なら照れてセリフが入るかも 「おいおい、俺、お中元買っちゃってるよ」みたいな 


 ブログ紹介の決まり文句に「ナンシー関みたいな辛口コラム」 クリックすると単なるドクゼツ芸で、ココロ冷やすこと多いです あんまりちゃんと読んでないんだろうなー ナンシー関に秀でていたのは悪口ではなく観察力 目の前の違和感を表す能力であって、彼女個人の好き嫌いを、ではありません 

 自意識過剰の80年代に、その過剰は何なんだ?なんだ、これ?を芸にしてあっという間に亡くなった名コラムニスト 通常「添え物」の時事ネタ集がいまだに文庫となり編集されてAmazonで買えるのは古くならない名文ゆえ まず一冊なら「ザ・ベリー・ベスト・オブ「ナンシー関の小耳にはさもう」100」を
 



 自分はTVを15年見ていない だからこの本の半分は、知らない人のことが書いてある それでもやっぱり大笑いするよ 



 You Tubeはリリー・フランキーが訪れたナンシー関の部屋




拳銃列島ニッポン
 似てる!と大声出すようなアレではないですが、個人的に大好きなTV批評ブログです 祈復活 

2008年5月17日土曜日

幻の女性シンガー・ソングライター Shona Laing 「Whispering Afraid」 1973年

















 Ezhevika Fieldsでニュージーランドの女性フォーク・シンガー
Shona Laingのファースト・アルバム「Whispering Afraid」が聴けるよ(linkをクリック) 17歳の時の作品 

 初期フェアポート・コンヴェンションを思わせる簡素なフォーク・ロックですが何しろ曲がいい歌声がいい 中島みゆきファンにも聴いてもらいたい 

You Tube検索  すばらしい新作「Caught」が聴けるMyspace

2008年5月1日木曜日

メリー・クレイトン Merry Clayton 「Emotions」

 1979年のオールド・スクール名盤 メリー・クレイトンはローリング・ストーンズのバック・コーラスで知られたシンガー 前に「好きになった」メモで もろスワンプのファースト・アルバムを紹介したけど、こちらは堂々のフロアー・クイーンぶり   



Merry Clayton 「Emotions」



血圧あがるわー 同系統 女性のR&Bダンス・クラシック名盤を3枚紹介 試聴リンク付き




チャカ・カーン「I'm Every Woman」 1978年








エスター・フィリップス 「What a Diff'rence a Day Makes 1975年











Deniece Williams . It's Important To Me.[SoulTrainTv 70's] - kewego
Deniece Williams . It's Important To Me.[SoulTrainTv 70's] - kewego

Deniece Williams . It's Important To Me.[SoulTrainTv 70's] - kewego

デニース・ウィリアムス 「It's Important To Me」1976年

2008年4月29日火曜日

イスラエルのガールズ・バンド「HaBanot Nehama הבנות נחמה」試聴




















 HaBanot Nehamaは3人の女性シンガー・ソングライターが集まったバンド テル・アビブを中心に活動してるみたい 

Myspace試聴 2007年のデビュー・アルバム 「HaBanot Nehama」

You TubeにあったTV直撮りライブ映像 「LOVERS」



 ローラ・ニーロの激情がアコギとレゲエのビートにのっかったら、どことなくトロピカリズモ風味 でも後口さっぱりの不思議なポップス 何しろ曲がいい イスラエルにこういうシーンがあるのかしら 是非ご一聴を