2008年5月24日土曜日

ナンシー関 「何をかいわんや」

 お中元を無意味な悪習とし、廃止すべきだとの声も聞く。確かにそうであるともいえる。しかし、善し悪しは別として、儀礼や形式に敢えて従ってみた時のおかしさやおもしろさというものもある。たとえば全く不適切な例なのだが、酔っ払った時にワザとネクタイをはち巻きのように頭に巻いてみる。「オヤジ」のコスチューム・プレイ(形を真似ることでその人格になる)である。それがコスプレであるという自覚があるうちは、自分とオヤジを差別化できているわけで、プレイ(遊び)である。しかし、続けるうちにその自覚は薄れ、するとそれはプレイではなく単なる日常になってしまい、コスプレオヤジのつもりが本物のオヤジになるのである。もしかしたら、成長するというのは、これの積み重ねかとも思う。コスチューム・プレイと、あとシチュエーション・プレイを、どんどん日常に落とし込んでいくのではないだろうか。何かお中元の話を離れてしまった感じもするが、でも、きっと最初は「お中元を贈るような人間」をやっている自分というような妙な自意識があるのではないかと思うのだ。回を重ねるごとにその「妙」は薄れていき、堂々とした特設お中元売り場の人になるのだ。

ナンシー関 「人はいつからお中元を贈るようになるのか」より 1994年




 どっから見ても80年代の視点 アイディアは宮沢章夫でも不自然じゃないと思う 宮沢章夫なら照れてセリフが入るかも 「おいおい、俺、お中元買っちゃってるよ」みたいな 


 ブログ紹介の決まり文句に「ナンシー関みたいな辛口コラム」 クリックすると単なるドクゼツ芸で、ココロ冷やすこと多いです あんまりちゃんと読んでないんだろうなー ナンシー関に秀でていたのは悪口ではなく観察力 目の前の違和感を表す能力であって、彼女個人の好き嫌いを、ではありません 

 自意識過剰の80年代に、その過剰は何なんだ?なんだ、これ?を芸にしてあっという間に亡くなった名コラムニスト 通常「添え物」の時事ネタ集がいまだに文庫となり編集されてAmazonで買えるのは古くならない名文ゆえ まず一冊なら「ザ・ベリー・ベスト・オブ「ナンシー関の小耳にはさもう」100」を
 



 自分はTVを15年見ていない だからこの本の半分は、知らない人のことが書いてある それでもやっぱり大笑いするよ 



 You Tubeはリリー・フランキーが訪れたナンシー関の部屋




拳銃列島ニッポン
 似てる!と大声出すようなアレではないですが、個人的に大好きなTV批評ブログです 祈復活