2008年9月17日水曜日
ソフト・ロックとアシッド・フォークの橋渡し Ruthann Friedman 「Constant Companion」
Ruthann Friedmanはソフト・ロック・ファンならご存知、アソシエイションのヒット曲「Windy」作者の女性フォーク・シンガー
the Association - Windy
このひとミレニアムの前身バンド、Ball roomの曲も書いてるのね
You Tube→The Ballroom - Spinning,Spinning,Spinning
アカペラで幕を開けるConstant Companionは弾き語り中心のナイス西海岸SSWアルバム
詳しくはとばすぜ ハイウェイの紹介記事へ
クスリをキメたフィル・スペクターばりの異様なボーナス曲「Carry On (Glittering Dancer)」は、案の定ヴァン・ダイク・パークスのプロデュース
Ruthann Friedmanは40年後の今日も現役のアシッド・フォーク・シンガーであります
検索してたらこのアルバムに入っていない新曲がみつかった こいつがすばらしい「Our Time」 ジャズ・ワルツにアレンジできるようなタイム感は、デヴィッド・クロスビーを思わせる ぜひご一聴を
彼女のMyspaceでは作者版の「ウィンディ」も聴けます
こちらはベスト盤
田中美知太郎 「時代と私」
「現実の中から思想が生れて来る?否、現実との距離に於いてのみ思想は生れて来る。過酷な現実にもかかはらず奴隷は思想をもたない。この現実の中から何か思想が生れて来るだらうなどと待つことの愚かしさ」 |
田中美知太郎は戦後日本を代表する哲学者 山本夏彦や福田恆存の名著において、何かにつけてみかける名前
しかし哲学書の例に漏れず、このひとの本は自分にはどうも難解で、読み通したのはこの自叙伝「時代と私」がはじめてでした
戦前とは、日本のインテリゲンチャにとってどういう時代だったのか
たとえば山田風太郎や永井荷風、高見順や徳川夢声が残した膨大な昭和日記への、ドキュメントとしての興味とは少し違う
今日のわれわれは、いつも時代とか社会とかいふ容器のなかに自分をおいて考へるくせがついてしまつてゐる。これはをかしな傾向だとも言へる。むかしのひとなら天地万物の間にわれをおいて見たのではないだらうか。自然のふところにいだかれた自分といふものを、何か自分の一番安らかな姿のやうに思つたのではないだらうか。 |
輸入されて間もない西洋哲学の原著翻訳作業と、慌ただしく大戦へとむかう我が国の世相が同時に語られ、さらに昭和59年の執筆時から検証される、立体的なその視点がいちいち面白い
田中は保守派で有名な論客でありますが、左翼リベラルのかたにも読んでほしいのはこんな文
日本独特の「ニセ天皇」を憂いて曰く
(二二六事件声明文 |
戦後は左翼がいまネット右翼がさかんにやってるやつだ 「子供たちのために」「日本人なら」と言うたぐい 虎の威を借る一点で、両者は実に似たもの同士
こういう聖化→自己同一化→責任放棄の心理構造については大西巨人「神聖喜劇」や山本七平「空気の研究」に詳しいです
おまけにゴシップ みなさんお好きな百鬼園先生登場
(1933年の法政騒動で、同僚関口存男たちに罷免を要求された、田中にとっての先輩講師、内田百閒の描写)
わたしはそれまで百閒さんと、さう親しい口をきいたことはなかつた。しかしいつも一種の親しみを感じてゐた。たいていは黒い洋服に白い手袋、そして細身の白いステッキを携へてゐた。昼食の時間に、わたしたちはライスカレーやうどんを食べてゐても、百閒さんはお吸い物つきの料理をよそから取つて、ひとり特別の食事をしてゐた。ドイツ語の授業につかふ教科書は、いつもきまつてゐて、何も下調べはして来ないやうだつた。その教科書の中にはわからない単語がいくつかあるのだが、これも毎年の決まりで、いつも忘れたままで思ひ出せず、その箇所が近づくと胸さわぎがしてくるのだと言つて、わたしたちを笑わせてゐた。わたしのやうなあまり自信のない新米のドイツ語教師にとつては、百閒さんのこのやうな話は一種の気やすめになるものだつた。かれはまた毎年の外国語夏期講習会の勧進元となつて、わたしにギリシア語やラテン語を速成十日間で講義するといふ軽業をやらせたりした。 |
昔も今も「真面目な人たち」はおっかねえなぁ、という話でした
「好きになった」メモ 「土下座」か「出ていけ」ニッポン代表
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